新居浜市は、愛媛県の東部に位置する市で大小の島々が浮かぶ瀬戸内海に面し、西日本最高峰である石鎚山の麓で自然豊かなまちであるとともに、臨海部に四国屈指の工業地帯を有する工都でもあります。
その歴史は、元禄四年(1691年)の別子銅山の開坑と、そこから派生したさまざまな産業によって、一農漁村のから大きく発展を遂げ、現在の新居浜市を築いています。1973年には銅山が休山されましたが、市内には貴重な別子銅山の産業遺産が数多く遺されています。
新居浜太鼓祭り
愛媛県新居浜市で毎年10月16.17.18日に行われる秋祭りです。(大生院地区は10月15.16.17日)四国三大祭りの一つとしても知られています。
五穀豊穣、安全祈願を祈って行われ、54台の太鼓台が市内を練り歩きます。
地域の伝承によると、その起源は鎌倉時代、あるいは平安時代まで遡るといわれています。太鼓台が記録の上で出てくるのは、江戸時代後期、文政年間(1818~1830)のことで、その頃は「神興太鼓」と書かれていることが多かったそうですが、時代が進むにつれて「太鼓台」とされることが多くなりました。
幕末から明治時代初期の太鼓台は、現在よりも小さく、飾り幕は薄めで、天幕も現在のような膨らみを持たなかったそうです。しかし、別子銅山の開坑により産業が発展し、新居浜市は経済的にも人材的にも活気づき、地域の対抗意識も高まりました。その結果として、明治中期以降から急速に大型化し、飾りも豪華なものになっていきました。
明治時代中期から昭和時代初期には、現在と同じくらいの大きさ(高さ5.5メートル、重さ2.5トン) になったと言われています。こうして太鼓台、今も祭礼時に神に供奉する山車の一種であることに変わりがありませんが、年月を経て、その豪華さから祭りの中心的存在となりました。
地区により日にちは異なりますが、新居浜市川西地区においては、13台の太鼓台が、氏神神社である一宮神社に、17日に宮出し、18日に宮入りを行います。
口屋物語
元禄4年(1691年) の別子銅山開坑を機に、 瀬戸内の一漁村から四国有数の工業都市への道を歩み始めた新居浜のまち。 粗銅を大阪へ送り、 また、銅山で働く人々の生活物資を搬入する重要な物流中継地として、 大きな役割を果たした浜宿が「口屋」でした。
平成18年(2006年)、新居浜発展の礎となった銅(あかがね)の歴史に由来するその名を冠し口屋太鼓台が誕生しました。
これまで、新居浜太鼓祭りを全国に発信するため、市外の観光イベントにも積極的に参加し、 震災復興支援を目的とする「新居浜太鼓台を東北へ!プロ ジェクト~気仙沼みなとまつりで若者交流~」や、全国各地から様々な祭りが東京ドームへ集う「ふるさと祭り東京」、「松山秋祭り 大神輿総練」への参加等、 民間自主事業を実施してきました。